『愛のファミリー』

ドキュメンタリー映画のご紹介です。<プレス向けの資料により>

第50回1977年度米国アカデミー賞「最優秀長編ドキュメンタリー賞」受賞作品。ベトナム戦争で障害を負った戦争孤児や、様々な障害を持った子供達を養 子に迎え入れ、21人の大家族で暮らす米国のデボルト家の生活をつづったドキュメンタリー。デボルト夫妻と子供たちの愛情と協力に満ちた生活を撮影。ス ヌーピーで知られる「ピーナッツ」の原作者チャールズ・M・シュルツ氏とサンリオ社長、辻 信太郎の共同企画により製作が実現した作品。

スタッフ
監督:ジョン・コーティ
製作総指揮:辻信太郎、ウォーレン・ロックハート
原作:ジョセフ・P・ブランク
撮影:ジョン・エルス
音楽:エド・ボーガス

キャスト  デボルト・ファミリーの21人

障害があろうとなかろうと、家族が生きるということはこういうことだと、あらためて教えられる映画でした。
家族は血縁や戸籍ではなく、<ともに生きることでなっていく人間の関係性>のことなんですね。日本の社会を見まわすと、老いも若きも背負った問題は、家族の在り方が変化したことが大きく関係しています。核家族が崩壊し、変容し、個別家族へと解体しています。

一緒に住んでいても、食事は孤食、
一緒にテーブルを囲んでも、視線は携帯の画面、
そんな話しは別に珍しくもない家庭の風景でしょう。
仮設住宅での生活、高齢者の独居・・・・

家族の在り方が、現代社会の問題に関わっていると言っても、昔の大家族に戻れるはずがないし、それがよいとも思えません。ではどうするか、このデボルトファミリーは、これからの家族の在り方の一つの形を提案してくれている気がします。

活き活きとした<グループホーム>も、この映画のような新しい家族ですね。ですから、生活の場である特養施設や養護施設で働くということの根底にあるものを感じるために、とてもよい映画だなーと思いました。
私たち歯科衛生士が訪問するときも、<ともに生きる>ということを再確認できる映画ではないかと思います。

 

お話しは1957年ですから、昭和32年、私が生まれる前の年です。アメリカのドロシー夫人は、子ども5人、養子2人を含む7人の子どもたちと暮らしていたが、、夫に先立たれてしまします。しかし、その後も彼女は韓国のハーフや、ベトナム戦争で下半身不 随の重傷を負った少年などを引き取り養育していくのです。

そして1970年、ドロシー夫人は現夫デボルト氏と再婚した後も、次々と養子を迎え入れ、やがて19人の子どもたちと 暮らす大家族となっていくのです。

しかし、障害があっても決して甘やかされることはなく、基本、自分のことは自分でする。幼くとも、両手の義手をつけ洋服を着て、両足の義足を装着し学校へ行く。
どんな子も、楽しくプールで泳ぎ、雪合戦を楽しむ。
動かない下半身でも、松葉づえで新聞配達のアルバイトをする子どもたち。
さらに、全員に家族の中での仕事が割り当てられており、それが、リハビリにもなっているようです。医者から歩けないと先行くされた、目の見えない男の子も、この家族の中で暮らしていく中で、松葉つえを巧みに使って2階へ行けるようになる。感動的です。

『愛のファミリー』全体に流れているのが、お腹の底からの笑い声と、心からの笑顔。家族の皆が、犬ころのようにじゃれ合って遊んでいる様子は、人間関係の基本は身体の触れ合いだなと思わせてくれます。携帯電話のあるネット社会で、この基本的な身体感覚を刷り込むことが、母子の最優先課題とも思えます。
この家族に、悲しみや苦しみがないはずはありません。いや、どの家族以上に多くの闇を経験してきた人たちです。なぜこうも明るく生きていけるのか・・・・
そのヒントは、信頼という家族関係でしょう。
何かを失ったからこそ、その大切さが誰よりも分かるということが人間には在りますね。

子どものときは、家族が全世界ですが、大人になるに連れてその家族の信頼関係を成り立たせる、大いなる愛の働きへの信頼を心の内に持つことができるのではないかと思います。

デボルトファミリーのように、身体へ、そして、こころの奥深くへ刻み込まれた消えることのない信頼感覚が、思うようにならない自分自身を受けとめる力へとなり、自分を受けとめることができるからこそ、他者も受けとめることができる。きっと、ここに、吐き気をもようするようないじめは生まれない!!

もう一つ、音楽の力も見逃せません。
自由に、自然にピアノを奏で合唱しするシーン
ギター、ピアノ、マリンバ、障害があっても演奏できり楽器をみつけ
自分で音を探し、演奏できる歓びを、音楽の喜びを知っていくのです。

美しい音楽が分かる感覚こそ、美しい人間関係が分かる感覚だと思います。

夫婦による愛の『ミニ国連』の努力は、売名行為だと非難されたこともあったようです。
しかし、私にとって、悲惨な出来事がやむことなく現れる世界であっても、デボルトファミリーが存在しているという事実が、生きるに値する世界だと感じさせてくれます。

 

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