高齢者の味方「訪問歯科」 厚労省も普及に本腰

高齢者の味方「訪問歯科」 厚労省も普及に本腰
高まる口腔ケアのニーズ

高 齢化に伴い、外出が難しいお年寄りを対象にした「訪問歯科」の必要性が高まってきた。虫歯や歯周病など通常の治療だけではなく、口の中を清潔に保つなどの 口腔(こうくう)ケアを担う。肺炎予防など健康維持の効果に関心が高まる一方で、ニーズに対する歯科医はまだまだ不足している。介護が必要な高齢者が増え る中、厚生労働省などは「訪問歯科」の普及に本腰を入れ始めた。

男性の自宅で治療をする歯科医の秋本さんと、歯科衛生士の石岡さん(7月、神奈川県海老名市)
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男性の自宅で治療をする歯科医の秋本さんと、歯科衛生士の石岡さん(7月、神奈川県海老名市)

 神奈川県海老名市の住宅街。歯科医、秋本広太さん(30)と歯科衛生士の石岡実記さん(38)が男性(83)宅に入っていった。「おはよう ございます。お口を開けてくださいね」。秋本さんはそう言って、早速、ピンセットや簡易ライトなどをポータブルの治療機器から取り出し、男性の口の中の チェックを始めた。

■自宅の椅子で

 最近、物をうまくかめなかったり、入れ歯の隙間に食べかすが挟まったりするため、入れ歯の金具の交換などの治療を30分ほど受けた。男性は「自宅の椅子に座っているだけで済み、助かる」と喜んだ。

 男性は認知症で要介護2。心筋梗塞も患う。今年5月、口内にたまった細菌が誤って気管に入る「誤えん性肺炎」で入院。口腔ケアの重要性を知 り、訪問歯科を受けるようになった。治療で入れ歯を固定したためかめるようになり、食事中にせき込むことがなくなったという。今後は、口の中の細菌除去や 清掃方法の指導をする「口腔ケア」や、食べ方を訓練する「口腔リハビリ」に移る。

 秋本さんが訪問歯科を始めたのは、2011年秋。きっかけは高齢者を中心に再診患者が徐々に減ったことだ。当初1カ月に2人程度の患者数は 全体の約1割に当たる約70人に増えた。「昔の思い出話などで打ち解けてもらい、治療が進むように気を配る。好きな物を食べられるように手助けしたい」と いう思いだ。

 「訪問歯科」は病気などで通院治療が困難な患者が対象で、ニーズは自宅だけではない。高齢者の小規模施設「グループホーム花みず木」(東 京・世田谷)の一角は毎週1回、即席の“歯科診療室”に変わる。近くで歯科医院を開業している歯科医の百瀬智彦さん(35)らが訪問。歯石取りや歯を磨く 口腔ケアのほか、入れ歯の調整、虫歯治療などにも当たる。百瀬さんは「健康に過ごすには口の中が大切。生えた歯を守りながら、生涯、口からしっかり食べら れるようにサポートしたい」と話す。ホーム長の加納美津子さん(63)は「普段からの歯磨きの大切さなどスタッフの意識が変わった」と歓迎する。

■病気予防の効果

 訪問診療の重要性が叫ばれる背景には、「歯の治療」にとどまらず、病気の予防効果などが確認されていることにある。東京歯科大千葉病院(千 葉市)の石田瞭准教授(42)は胃に穴を開けてチューブで栄養を送る「胃ろう」を受けるなど重症度の高い高齢者ほど口内に細菌がたまりやすく、口腔ケアが 必要という。

 静岡県の歯科医、米山武義さんらの調査によると、介護施設を利用する高齢者では定期的な歯科医らのケアを受けた場合、2年間の肺炎発症率は 11%で、受けない人に比べ8ポイント低いという結果がある。ケアを受けた2年間で37.8度以上の発熱が7日以上続いた人の割合もほぼ半分。石田准教授 は「誤えん性肺炎の予防などに一定の効果がある」とみる。

 こうした訪問歯科の必要性を訴えるため、日本訪問歯科協会(東京・千代田)は00年からケアマネジャーを、06年からは歯科医師らを対象にセミナーを開催。今は年200回に上る。ケアマネジャー、宮平由美子さん(57)は「重要性を感じた」。千葉県佐倉市の歯科医、檀上貴弘さん(40)は訪問歯科を始めたいといい、「在宅医療で歯科医が果たす役割の大きさを痛感した。地域の患者さんを最期まで支えたい」と思う。

 厚労省の試算では11年に歯科治療が必要と仮定した要介護度3~5の認定者は143万人。実際に訪問診療を受けたのは30万人程度とされ、 100万人以上が治療を必要としている。同協会の前田実男理事は「高齢患者の増加で訪問歯科の需要は増している。セミナーなどで歯科医らが抱える不安を払 拭し、訪問診療を増やしたい」と話す。訪問先は診療所から16キロ圏内と決まっており、各地域の歯科医が担わざるを得ない。今後、外来患者の減少は避けら れず、高齢社会における在宅医療への貢献の一環として、訪問歯科に積極的に取り組む姿勢こそが今、求められそうだ。

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■担い手 歯科の2割 手間・時間…大きな負担に 訪問先「居宅」より「施設」増加

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厚生労働省の調査によると、訪問歯科診療は、全国約1万3千カ所(11年、宮城県の一部と福島県を除く)の歯科診療所で実施している。全歯科診療所に占める割合は02年と比べ、2.6ポイント増加したとはいえ、歯科医全体でみれば約2割にとどまるのが現状だ。

 歯科医が過剰となり、患者の争奪線が激しくなる中、歯科医が二の足を踏む理由として、「採算がとれるか不安」「診療所での治療で精いっぱい。移動時間がかかるなど負担が大きい」「保険請求の仕方がわからない」などを挙げるという。

 訪問診療を行う歯科診療所の訪問先別では02年と比べ、11年は「居宅」が0.8ポイント増。「施設」は4.2ポイントも増えた。同省は「歯科医にとって施設は移動の手間がかからなく、一度に多くの患者を診ることができることが一因」とみている。

 在宅介護推進の観点から、厚労省は相談窓口の設置や歯科機器の貸し出しなどを行う「在宅歯科医療連携室」を全国各地に設置。12年度の診療報酬改定では、在宅での診療料を20点増やすなど訪問歯科の普及を後押ししている。

(塩崎健太郎)[日本経済新聞夕刊2013年9月19日付

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