風跡 第44号 2018.5

同人誌『風跡』は、四国学院大学の八木研究室で1979年に産声をあげた。
大学の職員と卒業生の数人で「『どんなに貧弱なものでもいいから自分のもの』を気軽に書けるようなものでありたい」という思いで発足したそうだ。

同人誌は3号以上続かないと言うことを耳にするが、風席は今年で44号!!

縁あって2002年から、私もその末席に参加させて頂いている。
今年は、歯科衛生士の学生実習の引率をした時の出来事を綴ってみました。

 

       《 宮 古 島 の 風 が 吹 く》

琉球楽器である三線と沖縄太鼓による伴奏のリズムを追いかけるように、

ハッサイ ハッサイ ハッサイ ハッサイ ハッサイ ハッサイ ハッサイ ハッサイ・・・

と男女の掛け合いが続き、沖縄独特の歌が流れる。

漲水ぬ船着ぬ 砂んむなぐぬ  ヤイヤヌ 
ヨーイマーヌーユ 砂んむなぐぬよ ニノヨイサッサイ
ヒヤサッサ ハッイ ハッイ  イヤ ハッイ ハッサイ ハッサイ

掛け声に畳みかけるように、三板と笛の音が複雑に絡まる。

粟んななり米んななり 上りくばよ ヤイヤヌ
ヨーイマーヌーユ 上りくばよ ニノヨイサッサイ 

歌に合わせて、着物に身を包んだ4人の女性が手拍子を打ち、両手を上下に振り、
両足で大地を踏み鳴らすようにして踊る。踊る女性を取り囲むように30人の人たちが
円陣を作って座っている。

ヨーイマーヌーユ ニノヨイサッサイ
ヒヤサッサ ハッイ ハッイ  イヤ ハッイ ハッサイ ハッサイ 

踊る人につられ、それを取り囲む人たちのテンションも上がってくる。体の中に潜んでいた、南国の血がうごめきだし、ざわめきたち、手拍子がだんだん大きくリズミカルになっていく。

島皆ぬ三十原ぬ 兄小達やよ ヤイヤヌ
ヨーイマーヌーユ 兄小達やよ ニノヨイサッサイ
ハッサイ ハッサイ ハッサイ ハッサイ ハッサイ ハッサイ ハッサイ ハッサイ・・・

無表情だった人たちの顔がほころぶ。車椅子に座っているお婆さんが踊る。
ストレッチャーにつかまって歩くのがやっとのお爺さんが、両手をあげて声を出して笑
っている。終わりの見えない宴だ。

事の始まりは、卒業間近な歯科衛生士学校3年生の特別養護老人ホームでの実習引率でした。私が訪問口腔ケアをしている施設で、4人の学生さんが実習をすることになったのです。施設の職員さんの指導を受け、利用者さんに寄り添って、日常生活の支援を学びます。口腔ケアだけではなく、朝の申し送りから、一日の終わりに実習日誌を書いて帰るまでの時間をずっと共に過ごします。

この施設の昼食は、利用者さんとスタッフが同じテーブルで、同じ食事を食べます。
学生さんも食事介助をしつつ、食事を一緒に頂きました。そこでは利用者さんとの会話が弾み、和気あいあいとした時間が流れます。

また、月曜日の午前中には、牧師さんがいらして礼拝が催されます。熱心に参加される方もいますが、中には車椅子に乗せられ、どこに連れて来られているのか分からないまま座っている方もいます。牧師さんはその時々のお話をされ、賛美歌を歌ってくれます。「わしは一向じゃが、神さんでん仏さんでん、あっちに行きゃー喧嘩はないきん」と言いながら集っているお爺さんもいる、そんなおおらかさがなんとも面白い礼拝です。

実習生は1年生の時から私の授業を受けているので、気心は知れています。4人のうち2人は高松の自宅から通っています。もう2人は寮生で、なんとはるばる沖縄本島の南西290キロに位置する宮古島から来ています。沖縄県小浜島を主な舞台としたNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」を思い出す、ゆっくり穏やかな語り口が印象に残る学生さんです。

入学した当初から、学生生活もゆっくり焦らず慌てずマイペース。よく言えば落ち着いているのですが、過密な専門学校の授業についていく要領の良さを持ち合わせていない感じでした。ですから、何かと苦労しておりました。遅れを取り戻すため、放課後の誰もいない教室で2人そろって、課題に取り組む姿を何度も目にしました。

そのことがこの度の施設実習でも気になりました。例えば、一日の終わりには、実習日誌を書いて教員の点検を受けて帰ることになっています。ほとんどの学生は30分ほどで書き上げるのですが、宮古島の学生さんはその2~3倍の時間がかかりました。提出された日誌を見て、何度も書き直してもらう日々でした。

この実習の最後には、施設の利用者さんのためのレクリエーションを行うという課題があります。4人のメンバーはどのようなレクリエーションを企画するのか楽しみに待っていました。しかし、なかなか内容が決まりません。一人一人の顔を思い浮かべ、何をすると楽しんでもらえるかと悩んでいるようでした。それは良いところでもあるのですが、期限のある実習では困るのです。

やっと決まったのが、「沖縄の歌と踊りを皆で楽しむ」ことでした。このメンバーならではの案だと思いました。しかし、提出された計画書は、たいそうざっくりしたものでした。でもまぁー、何とかなるだろうと準備を許可しました。

が、やっぱり心配になり一日の実習が終わった後、準備委員会と称しておやつを食べながら話し合う時間を持ちました。曲がないと難しいだろうと思って、私が持っている沖縄のCDを学生さんに渡しました。

「このCD中の曲を使えるかな」と私が言うと、
「えーと、ちょっとそれはわからないさぁー」と、学生が小さい声で呟きます。
「何がわからないさぁー?」と私が聞き返すと、
「あのー、宮古島のは違うさぁー」と言うのです。
「沖縄のお店に行ったらよく流れている、安里屋(あさどや)ユンタとかは?」
「安里屋ユンタは有名だけど、八重山の竹富島のほうで、宮古島のとは違うねぇー」

さらに宮古島内であっても、各地区によって幼いころから慣れ親しんだ民謡は違うという事でした。選曲にあたり宮古島の学生さん二人が話し合いっているのですが、香川県民の3人には事情が掴めません。話し合いが終わるのを、コーヒーを飲んで待ちました。気がつくと外は真っ暗になっていました。

やっと「漲水のクイチャーにします」と言ってくれました。
高松の学生さんもほっとした表情です。
「漲水のクイチャー」って、どういう意味なのか尋ねると、
『くい』は『声』、『チャー』は『合わせる』ということ」だと教えてくれました。
「つまり、みんなで声を合わせて歌うってことか」
「漲水は地名?」と尋ねると高松の学生さんが、すぐにスマートフォンを取り出してネットで調べます。

 漲水ぬクイチャーは、雨乞(あまごい)のための歌でした。 川の無い宮古島では、農作物が無事に育つためには雨だけが頼りでした。雨が降らなければ生活が豊かになれないので、一生懸命雨が降りますようにと祈り続けたのが宮古島の歴史です。船着場に運び込まれる砂や大神島に寄せるさざ波のように、めぐみの雨に満たされて収穫や機織用の糸が途切れることなく手に入ることを願った歌です。
しかし、この漲水のクイチャーは、人頭税という「世界でもっとも残酷な税」といわれる首里王朝が宮古八重山地方の人々にかけた重荷を自分たちの力で取り払ったときの喜びと怒りと願いが込められた歌だという。

なるほどね。しかし、「CDにはその曲がないけど、踊りながら歌えるの?」
「それはちょっと無理でぇー・・・」
また、すかさず高松の学生さんがYouTubeで「漲水ぬクイチャー」を探し当て
「これ流したらええやん?」と提案してくれました。が、会場が広いのでスマートフォンでは音量が足らないという話になりました。
しばらくして、宮古島の学生さんが、
「宮古の家族に頼んで送ってもらうよう連絡しようねぇー。」
「家に民謡のCDがあるんだ」
「いえ、ないので宮古のレンタルショップで借りて、コピーしてすぐに送ってもらいます。」「家族の方は大丈夫?」
「はい、大丈夫」と相談なしに即決。

もう一つ気になることがありました。それは衣装です。白衣で踊っても今一つ盛り上がりに欠けるだろうと告げました。するとそれも、CDと一緒に家族に送ってもらうことに決まりました。高松の2人はどうするか・・・。私の手持ちの絣と上布の着物を用意することにしました。

レクリエーションの当日まで、実習が終わってから4人で踊りの練習に頑張っていました。国家試験が近い時期なので、試験に直接関係のない事柄は避けて通りたいと考える学生もいるなか、全力投球で準備をしていました。参加していただく皆さんに、楽しみながら沖縄のことを伝えるために、クイズを用意していました。さらに、サーターアンダギーという沖縄の揚げ菓子を味わって頂く計画も追加されました。30分間のレクリエーションに、驚くほどこころを尽くしていました。頼もしいと思いながら、国家試験の勉強は大丈夫か?という思いがよぎります。

いよいよレクリエーションの当日、会場には多くの利用者さんが集まってくれました。ありがたいことに、施設の職員さんも参加して手伝ってくれました。しかし、用意したクイズに対して、認知症の利用者さんから、学生が想像していた反応が返ってこず悪戦苦闘する場面もありました。サーターアンダギーは喜ばれましたが、経管栄養の利用者さんの視線に気づき、戸惑う表情を見せていました。後半は気を取り直して「漲水ぬクイチャー」を踊ります。

はじける三線と響く太鼓の軽快な音楽が流れると、クイズの時間はうつむいて居眠りしていた人が目を覚まして頭をあげます。音楽に誘われ、着物姿の学生の踊りに刺激され、皆さん次第にノリノリになってきました。終了予定時間が過ぎても、参加している皆さんのあまりにも楽しげな様子に、終わりのきっかけを見つけられない学生は、何度もCDを再生しました。「金毘羅ふねふね」の曲がいつ終わるかわからないような、そんな陶酔感がじわじわ波紋のように広がり、会場には温かい宮古島の風が吹いています。

そこに、一人の意識がはっきりしない女性の利用者さんがリクライニングの車椅子で運ばれてきました。私が長年口腔ケアを続けてきたSさんです。偶然にも彼女も宮古島出身でした。宮古島の学生さんと話しが出来たらどれほど懐かしいだろうと思っていたのですが、脳梗塞の再発で入院されていたのです。ところがレクリエーションの3日前に帰ってきました。しかし、鼻から栄養摂取のためのチューブが通され、顔はむくみ、意識もはっきりしない状態が続いていました。車椅子に座りマイクを持って、大好きなカラオケを歌うSさんの姿を知る誰もが、辛いものを感じていました。そんなSさんを、一人の職員さんが部屋から連れ出してきたのです。その様子を遠目に見ていると、「目あけて,拍子とっとる。」と誰かが声をあげました。周りの人たちと一緒に学生と私も駆け寄りました。彼女は目を見開いて、頭を動かして、しっかりと拍子を取っています。

「分かる?この歌わかる?」と職員さんが声をかけると、
「わかるよー」と言う言葉が出ると同時に、一筋の涙がこぼれ落ちました。
彼女を看ていた看護師さんも「宮古島の曲やねー」「よかったー」と言いながら目頭を押さえて喜びました。隣で同じようにリクライニングの車椅子に寝ていた男性は「魂がもんてきたわぃ」とつぶやきました。この出来事に遭遇した学生は、言葉を失っていました。が、落ち着きを取り戻してSさんに付き添い、部屋でしばらく一緒に「漲水ぬクイチャー」を聞きながら掛け合いを口ずさんでいました。

 

レクリエーションは無事終了し、施設実習の反省会ではSさんの出来事も話題になりました。施設の方の、「学生の皆さんのおかげですね。私たちも勉強させられました。」と言う言葉に、学生は「そう言われても、あれはたまたま偶然です。」と、困った表情でした。施設の方は学生さんの取り組みを褒めて下さいました。もちろんそれはそうなのですが、そもそもこの施設がこのような出来事が起こるような場所であったのだと、私は思うのです。

それは、他の施設より看護や介護の技術が特にすぐれているとか、ホテルのようなお客様対応であるとかではない。ただ一緒にご飯を食べるようなこと。利用者さんがボロボロご飯をこぼしても、「あー、ここに鶏がいたらむちや喜ぶでー」と言いながら、普通に毎食後床の掃除をするとか。なんでもレジ袋に入れて積み上げる人の紛失物を、「もー、どこに入れたんなー」と文句を言いながらも一緒に探すとか。若い女性が好きそうな人の部屋に、誰かわからないがお色気のあるカレンダーをかけるとか。そのような何気ない自由で優しい日常生活が当たり前に営まれているという事こそが大切であり、きっと、この施設であったからだからこそ学生は素敵な経験をすることができたのだと確信しています。

沖縄から来た学生さんは「何とかなるさ」という事を方言で「なんくるないさ」と言う。単なる楽観的な逃げ口上かと思っていたのだが、そうではないという事を宮古島の学生さんに教えてもらった。「まくとぅそーけー、なんくるないさ」ということで、その意味は「まことのことをしていれば、何とかなるさ」だそうだ。まさに、この実習がそうだったと思う。

学校の中では見えない学生の人となりが、場所が変わったらこんなに生き生きと表現されるのだと改めて感じた。また、そこを見抜けなかった自分の貧しさを思い知った。本当に情けないことである。が、それは晴れ晴れとした喜びが湧いてくる情けなさである。今年は、こんな学生をはぐくみ育てた宮古島を訪ねてみようと思う。

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