発達支援はカーリングのように

3月7日(土)、阿南市の友人宅での勉強会に参加させていただきました。

保健師、栄養士、歯科衛生士の参加で、町村先生の身体調和支援を学んでいる仲間です。
2月に行った倉敷における、平野由子先生のこどもの育ちの復習と、それぞれが学んでいることの紹介をしました。

ポイタ協会代表:家森百合子先生の「乳幼児のからだの発達講座」を受講された保健師さんからのお話も有意義でした。

家森先生は子どもたちの支援の考え方について「カーリングの様です。」とおしゃたそうです。カーリングという競技はストーンを直接触ることはせず、周りをごしごし整えて、目的に向かわせる。子どもの脳を直接触ることはできないが、環境を整えたり、関りあって成長発達を支援するという意味でしょう。人は誰しも、そのようにして成長していくということだろうと思います。
私で言えば、今回のような学びの場に自分自身を置くことで、自分自身が育つということだとと感じました。皆さんに、ごしごししていただけた!(笑)

思い出したのが、ナイチンゲールの看護の定義。

看護とは、新鮮な空気、陽光、暖かさ、清潔さ、静かさなどを適切に整え、これらを生かして用いること、また食事内容を適切に選択し適切に与えること ー こういったすべてを、患者の生命力の消耗を最小にするように整えること、を意味するべきである。

この「すべて」の中には、関わり方、遊び方、衣服、おもちゃ、マッサージも含まれる。
「生命力の消耗を最小に」とは、「できる限り正常(自然)な発達を促す」と言えよう。
生命力を孕んだ人間が、カーリングのストーン。環境が、氷のレーン。
私たちが何かを用いて支援するのが、選手がデッキブラシをごしごししている姿と重なりますね。それは一人ではなく、多職種のチームですよね。
生命力を感じとるには、自分の生命力の感覚を磨くことも大事。

まさに「<場>所論」の構造です。
哲学の先生方が語ると難解な「<場>所論」を、私なりに解釈するとこんな感じ。

ここが一番難しいのですが、イエスなど宗教を開いた古代人は、この生命感覚がすぐれていたので、自分の<生命力の働き>とその<根拠>との関係として、宗教を説いたのではないかと、私は勝手に考えています。このような意味での宗教に関心のある方は、ナイチンゲールに立ち返ってケアについて考えてみませんか?

『ナイチンゲール 看護覚え書』現代社
『子どもの姿勢運動発達』 別冊発達 ミネルヴァ書房

 

日々思うことこの記事のURL