邂逅 -口腔ケア・カルテの余白―1 (風跡より)

同人誌 『風跡』第42号 2016年 に投稿した、
訪問口腔ケアの記録です。
3回に分けてご紹介します。

「私ね、北朝鮮に行かんといかんのです。」
「えっ、北朝鮮に?」
「そうです。お礼を言わんといかんので、一緒に行って欲しいんです。」
そう言うと、Tさんの目から涙が零れた。

昭和7生まれのTさんは、脳梗塞に襲われ後遺症で麻痺が残った。往診をした歯科医師から、Tさんの口腔ケアをして欲しいという依頼があり、Tさんとの二人三脚の口腔ケアが始まった。歯科衛生士としてTさんの口腔ケアを実施した後、業務記録を書くのだが、その時々の生活状況や会話も記す。3年9か月にわたる週一回の口腔ケアの記録を読み返すと、感慨深いものがある。

平成23年3月29日

Tさんのお宅は、車で対向できない路地の奥まったところにあり、手入れされた庭のある落ち着いた佇まいであった。初めて訪問すると、奥さんが明るい声で迎えてくれた。南向きの明るい部屋で、Tさんは車椅子に座っていた。壁面には大きなテレビ、反対側にはベッドが置かれている。テレビの横の額に、ゴールデンレトリバーと一緒に写ったTさんの写真が飾られていた。

Tさんにお話を伺っても返答はなく、奥さんが代わりに答えてくれた。週2回のデイサービスを利用し、あとは家ですべて奥さんが介護していた。息子さんは二人いて、それぞれ家庭をもち独立している。

歯科医師から、身体の残存機能を保持するために、なるべくTさん自身に歯磨きをしてもらい、その後、専門的口腔ケアをするようにとの指示があったので、とりあえずTさんに歯ブラシを渡した。すると15秒ほど歯を磨いて、歯ブラシをテーブルに置いた。続いて私が、口腔粘膜ブラシ、歯ブラシ2本、歯間ブラシ2本を使って口腔内全体を清掃マッサージし、虫歯予防用のフッ素ジェルを歯に塗布した。

平成23年4月2日

前回同様に口腔清掃を行った後、口腔機能訓練をする。と言っても口腔だけではなく、全身へのケアがそれに先立つ。リンパの流れをよくするように全身をマッサージした後、足、手、腕、首顔,唇、舌と順にストレッチしつつ動かす。Tさんに口腔の筋肉は全身につながっているということを説明する。

平成23年4月9日

3回目の訪問。奥さんが、壁に掛けてあった写真について話をしてくれた。

「これは往診に来てくれている内科の先生が、ヨットから撮影した志々島の写真なんです。赤い鳥居の後ろにあるのが主人の実家です。」

「Tさんは、志々島で育ったんですね」

「北朝鮮から引き揚げてきた後、志々島で暮らしていたんです。」

奥さんと話をしていると、Tさんが何かを訴えてきた。なかなか聞き取れなかったが、「私は丸亀高校に入ったとき、560人中27番の成績だった。」と言いたかったのだ。

初めてTさん自ら語ってくれた「560人中27番」は、人生において大変印象に残る出来事だったのだろう。

平成23年4月16日

歯磨きが終わってマッサージをしているとTさんは、「私ね、京大に行きたかったんです。」と話しかけてきた。「私は教科書を全部覚えたから行けると思っていました、そしたら、友達は参考書も勉強していて、そうじゃなきゃ受からんのでした。そのことを私は知らなかった。知っていても、家が貧乏でしたから、参考書は買えなかったと思いますが。」と、悔しいような寂しいような表情でしゃべってくれた。

奥さんによると、Tさんは香川大学に行って体育の先生になったとのこと。

平成23年4月23日 

Tさんに口腔機能の訓練として、歌を歌うことを提案した。
すると、「私、歌、聞くんですが、歌えません。」とTさんが言う。
「軍歌はいかがですか。長らく歌ってなくても、皆さん案外覚えていますよ。」
しばらく考えて「ラバウル小唄は、好きです」と答えてくれたので、一緒に1番を歌う。
「そうだ、北朝鮮でいらしたから、アリランはご存知ですよね?」
「知っています。曲は覚えていますが、歌詞は忘れました」
「アリラン アリラン アラリヨ アリラン峠を越えて行く・・・思い出しました?」
Tさんは「朝鮮語じゃない」と言って困ったような顔をする。
Tさんが慣れ親しんだアリランは、朝鮮語だった。

奥さんに食事の様子を聞くと、一食を食べるのに1時間ほどかかり、水分を飲むときは一口量が多くなるとむせると教えてくれた。食事の介護だけでも大変な負担である。

平成23年5月7日

「ラバウル小唄」と、You Tubeから流れるハングルの「アリラン」をカタカナに起こして作った歌詞カードを持って行く。Tさんはその歌詞を見ながら、とてもゆっくりアリランを歌って、しみじみと「懐かしいですなぁー」と言う。

奥さんが、善通寺体育館横の池に咲いたつつじを見に行った写真を見せてくれた。介護タクシーの運転手さんが、通院の送迎時に気を利かせて花見をさせてくれたのだった。

「花見ができてよかったですね。」

「志々島に行ってみたい。息吹島にも行きたいです。」とTさんが話しだす。

平成23年5月14日

6月5日に、志々島行きが決定した。

リハビリの体操中「もっとしっかり手を上げてください。元気出して志々島に行かなくっちゃ」と声をかけるとTさんは「もう、体操はやりつくしました」と言う。「そっか、体育の先生でしたね。」と私は苦笑した。

持参した四国の地図を広げると、ここが志々ですと説明してくれる。お父さんの仕事関係でお世話になっている方が息吹にいるので、そこも訪れたい。しまなみ海道へもいいでしょぉなー」と、楽しみが広がった。

平成23年6月4日

体調を崩し、志々島に行く前日に入院となる。残念。

平成23年6月25日

退院され、口腔ケア再開。

5月に比べて、語りかけに対する反応が落ちている。声は小さいが「ラバウル小唄」と「アリラン」は歌ってくれた。

足の爪が白くなっているので、皮膚科に行った方がいいと奥さんに伝える。

平成23年7月2日

「アリラン」とともに二大朝鮮民である「トラジ」を歌詞カードにして見せる。何度か歌っているうちに、Tさんの記憶が蘇がえってきた。そして、「トラジ」の云われを教えてくれた。

「桔梗の根っこを取るときに、娘たちが歌う歌です。」
「花ではなく、根っこを取るんですか。」
「キムチに入れます。北のキムチは、桔梗が入っているからうまいんです。」
「南とは違うんですか?」
「南の方は塩辛く唐辛子もきつい。」
「どうしてでしょう?」
「気候が違うから、防腐剤の意味があるんでしょうなぁー」
「私の母親が作るキムチは、実にうまかったです」
その話を聞いて奥さんが「お義母さんのキムチは、本当に美味しかったんですよ。エビとかも入れて,毎年漬けていましてね」
「母親のキムチが一番うまいんです」と、Tさんは得意げに話してくれた。

平成23年8月6日

「今日は、歌を歌いたくないです。」と言うので、「いやなことはしなくていいですよ。」と返答する。Tさんは「自慢話をしてもいいですか・・・」と尋ねてくる。

「もちろんです。聞かせて下さい。」と言うと、いつも話してくれる560人中の27番の成績について話してくれた。

「高校の先生が、お前はせっかく生きて帰ってきたんだから、しっかり働けと言われたんで、私は学校行く前に父親が採ったボラを船で運んで売っていました。」
「志々島から船で学校へ行っていたんですか」
「そうです。島から10㎞、伝馬船を漕いで通学しました。」
「冬とか、雨とかは特に大変でしたでしょう」
「しんどいです。しかし力が強くなったので、体操ができるようになりました」
「体操?」
「そうです。高校も大学でも体操部のキャプテンでした」
奥さんが天草で作ってくれた寒天を食べながら、Tさんの武勇伝を聞く。

平成23年8月20日

歌ったあと、突然「北朝鮮でいるとき、父親は警察だった。」
「小学生の時、栄養源として濁酒を飲んでいた。」「魚を捌くことができる」など、昔のことを思い出して、ぽつぽつ語ってくれる。

平成23年9月10日

奥さんから「昨日病院に行ったら検査結果が良かったので、帰りに食堂で、お蕎麦とあんパンを食べたんですよ。」との報告があった。Tさんは、病院に行ったことは覚えているが、食堂に行ったことは忘れていた。

平成23年9月17日

こんにちはと挨拶すると、すぐにTさんが「お願いします」と声をかけてくれた。

デイサービスのカラオケ大会で、Tさんはラバウル小唄を披露したそうだ。

それをきっかけに、歌のレパートリーが増えていった。同期の桜、よさこい節、五木の子守歌、リンゴの唄、荒城の月、ふるさと。声が大きくなり、歌詞も聞き取りやすくなってきた。なによりリズムが良くなった。

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