邂逅 -口腔ケア・カルテの余白―3 (風跡より)

平成24年8月6日

午前中は訪問マッサージを受けている。
昨夜は介護タクシーさんが花火に誘ってくれ、見に行ったそうだ。

平成24年8月11日

オリンピック観戦で生活のリズムが変わっているためか、元気がない。
デイサービスで出された<ういろう>を食べなかったそうだ。
今夜、BSで戦艦大和の番組があるのを楽しみにしているとのこと。

平成25年1月12日

デイサービスで体重測定をすると、1年で3キロ太っていた。ダイエットをしないといけないが、食べさせないのはかわいそうだと奥さんが思案している。

「水師営の会見」を練習して、デイサービスでみんなに披露したいという。水師営は中国の大連の近くにある町の地名で、日露戦争中ロシアのステッセルと乃義希典とが会見をしたところ。Tさんが子どものころは皆、歌って覚えた。

平成25年1月12日

この話をするのが一番楽しいのだと言いながら、北朝鮮の地図を広げて、引き上げの道程を説明してくれる。

平成25年3月13日

「どうして貴方がここに?」

顎骨壊死で病院の緩和ケア病棟に入院していた女性のご主人が、Tさんの横に座ってお茶を飲んでいた。件の女性は一切の延命治療を受けないという選択をし、病院での看護ケアと歯科衛生士による訪問口腔ケアのみを希望され、人生を終えた。

Tさんの奥さんがタクシーに乗ったときの運転手さんとの会話で、口腔ケアが話題になった。運転手さんの奥さんが亡くなるまで口腔ケアをしたのが、本田さんという歯科衛生士だと言われ、Tさんの奥さんはその人が主人の口腔ケアに来ていますと話された。それを聞いた運転手さんが、わざわざ口腔ケアの日に会いに来てくれたのだった。縁は異なものです。

平成25年3月13日

体操をしていると、全身のマッサージや体操が口と何の関係があるのかとTさんが聞いてきた。この2年間ずっと不思議だと思いながらリハビリを受けていたことになる。コミュニケーション不足です。

平成25年4月20日  誕生日

朝から調子が違うと奥さんが心配している。
往診に来てもらっても特に問題はないと言われ一安心したと奥さん。
歯が痛いと指さしてくれたところを歯間ブラシで清掃すると、鶏肉らしきものが挟まっていた。一鶴の親鳥を食べたそうです。いつも食欲に救われる感じ。

北朝鮮時代のお父さんの写真を見せて下さり、話をしてくれるが言葉が聞き取りにくい。姿勢が前傾になる。

平成25年5月18日

5月12日、足が立たず、しゃべれなくなったので往診を受けた。その時、医師からあと2週間くらいかもしれないと言われたと、奥さんが静かに話してくれた。息子さんも駆けつけたが、安定してきたので入院せず様子を見ることになった。

平成25年6月1日から6月25日まで入院

奥さんが1日3回の食事介助に病院へ通っている。食事状況、口腔ケア状態が気になるので、1日おきに夕食時に訪問する。薬が飲みにくそうなので、服薬ゼリーを使う。

平成25年6月28日

退院。

平成25年6月29日

朝、在宅訪問。
食事の負担が大変ですから、おかずは宅配弁当を使う。おかゆは奥さんが作る。

平成25年7月2日

理学療法士の先生が、リハビリとして仏壇の前に連れて行ってくれて、お参りをするそうだ。

平成25年7月23日

「こんにちは」と挨拶すると、目を合わせてくれる。
歯ブラシを見せると、口を開けてくれる。

平成25年8月13日

NHKスペシャル「知られざる脱出劇 ~北朝鮮・引き揚げの真実~」を見たことを話すと、奥さんもそれを見て涙を流したそうだ。

終戦直後に北朝鮮から這々の体で脱出した日本人の記録と証言の数々。引揚者のうち3万5千人が無残な死に方を強いられた映像と、Tさんが話してくれる体験が重なり、その過酷さに改めて胸が締め付けられる。

平成26年3月25日

「歯」と言うとうなずいてくれる。
口腔ケアが「終わりましたよ」と声をかけると「おぁー」という声で返事をしてくれる。
帰りに握手してバイバイと手を振ると、2本の指をわずかに動かして、バイバイに答えてくれる。奥さんはこれを、省エネのごあいさつでと笑う。

平成26年8月6日

水分を取りにくいと奥さんが心配しているので、近所のスパーで粉末ゼラチンを買いに走り、水ゼリーを作る。5g(市販ゼリー1袋)を500㏄の水で作る。

お茶、イオン飲料などでも応用できる。

平成26年8月9日

食事介助のアドバイスをする。
高知の碁石茶をお届けする。

平成26年9月10日

口腔リハビリの指示が良くとおる。
舌をしっかり動かしてくれる。
補聴器を新しいものと取り換えたのでよく聞こえるのかもしれない。
暑い時期の水分摂取は、水ゼリーで助かったそうだ。

平成26年9月22日

口腔ケア終了後、奥さんが碁石茶で作ってくれた茶粥を一緒に食べた。
素朴でおいしい。Tさんの食欲は旺盛。

平成26年9月24日

Tさんは53歳の時自動車の運転免許を取り、それか約20年車に乗ったそうです。
車をぶつけて帰ってきたときには「美人がおって見とれとった」など冗談を言ったとか。

平成26年12月2日

発熱があり内科の往診を受けたが、原因は不明。口腔ケアは、清掃のみ手早く実施。
16:30よりケア担当者会議(ケアマネ・ヘルパー・理学療法士・入浴サービス・トーカイ)

平成26年12月16日

口腔ケアが終わると、「ありがとう」と口を動かし、省エネのバイバイをしてくれた。

平成26年12月20日

痙攣があり労災病院に入院。
口腔ケアは病院の方で実施してくれると奥さんから連絡が入る。
「年が明けたらお伺いします。お大事に。」と返事をする。

平成27年1月13日

84歳にて、ご両親とヤンバーのもとへ旅立たれた。

平成27年5月1日

奥さんからハガキが届く

新緑が爽やかで、はや明日から五月になります。先日は寄ってくださり、ありがとうございました。今はまだ、主人のものに手をつけらず、用意していただいた歯ブラシも、下着やパジャマもそのままになっています。どなたもが同じだとは思いますが、いつも居た人が居なくなるということは、この上なく胸の痛くなるものですね。いつも助けてもらったヘルパーさんやリハビリの先生も来なくなると家の中が、だだっ広くなったような気がします。ことに主人は歯医者の先生が来てくれるのをいつも心待ちにしていました。お世話になり本当にありがとうございました。

 

前略。ご丁寧なお葉書ありがとうございました。こちらこそお世話になりました。

玄関のドアを開けると、墨のにおいがかすかに香り、そっと生けられた季節の茶花が迎えてくれる心和む訪問でした。口腔ケアが終わってからの他愛もない会話は、本当に楽しかったです。何より、Tさんから伺ったヤンバーのお話は、私の人生の宝物となりました。今も目を閉じると、省エネのバイバイをしてくださるTさんの憂いを含んだ笑顔が浮かびます。

ではまた、Tさんにお線香をあげさせていただきたいと思います。

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