ナイチンゲールの<神>概念

『看護覚え書』には<神>について書かれています。
この<神>は、一般的に文化の違いとか、時代の違いとか・・・
よくわからないので、無視して読まれることが多いようです。

この<神>、2つの全く異なった意味で使われているので
よけいとややこしくなっている気がします。

ナイチンゲールが「覚え書」の中で次のようなことを述べています。

  私たちはいつもが奇跡を起こすのを期待しているようである。
  それは、とりもなおさず私たちに責任逃れをさせるために、が特別の御はからい    をもってに法則を破られることを願うことにほかならない。

この神は、一般的日本人が感じる神様ではないでしょうか?
「神様、どうか年末ジャンボ宝くじを私めに・・・」
「神様、どうか国家試験全員合格させて下さい。」
「神様、どうか地震と津波はおやめください。」
これは人間が、自分に都合のよい神を作り、その神を信仰している。
自分だけが、奇跡(不自然なこと・科学的にあり得ないこと)に預ることを期待するということですね。科学の発達していない時代ならいざ知らず、現代の日本では受け入れがたい。


このような神様について、上手い表現が
『はたらく神の神学』八木誠一著 岩波書店 3400円 2012年12月出版
この本の、はしがきの文章にありました。

 働く神

  <はたらく>という書名を見た人は、「神様って、何もしてないみたいだけど、本当  に人間のために働いているの?」という疑問を持たれるのではなかろうか。実際、<神  様>が世界と人間のために<はたらいて>いたら、この世はもうすこしましなものに   なっているはずではなかろうか。

ナイチンゲールが批判する神と同じだと感じます。

ところが、ナイチンゲールも、八木誠一も、神は働いていると述べています。
八木誠一は、

  本書が「神のはたき」と呼ぶ現実は確かにある。それは確認可能な事実である。それを  示すのが本書の第一の目的である。ただし「神のはたらき」は、人間の世界では、ただ  人間を通して、人間のはたらきとしてのみ、実現するのが基本である。その条件は、人  間が世界と人間に及んでいる「神のはたらき」に目覚めることだ。仏教は、一切衆生に  仏性があるといっても、仏性は人間がそれに目覚めなければ現実化しないことを知って  いる。実は「神のはたらき」にも同様なことがある。どうしてそうなのか、「神のはた  らき」が現実化する構造を述べるのが、本書の第二の眼目である。

神は<はたらき>ということですから、
<重力>や<浮力><磁力>のようにそれ自体を見ることはできません。
取りだしたり観察することはできませんが、感じとることはできます。

どうしてわかるかるのか?
それは、法則としてわかるとナイチンゲールは語っています。

神の法則=生命の法則=自然の法則=看護の法則=こころの法則=健康の法則

八木誠一はイエスの<神の支配>言葉から<、神を人格神ではなく<はたらき>と捉え
<神のはたらき>と述べています。
  イエスは麦が「自然に」(アウトマテー、おのずから)成育し結実するところに「神の  支配」(神のはたらき)を見ているのである(作用的一)。『はたらく神の神学』P15

ナイチンゲールが、神の法則=自然の法則といっているのは、
神が自然というのではなく、
<神のはたらき>と<自然のなかで働く神>は、働きとして一である(作用的一)であるということだと考えられます。

また八木誠一は、『はたらく神の神学』P14 に次のように書いています。

  ヨハネ福音書の「ロゴスによって生じたもののなかには生命があった」なら、ロゴスが  生命を成り立たせたことになるから、よく解るのである。後述するようにロゴス(世界  のなかではたらく神。つまり神と世界の作用的一と解される)のはたらきは「統合化」  であり、生命体は統合体だから、ロゴスが生命を現実化させたというのはよく納得でき  る。

つまり、<神のはたらき>=<生命のはたらき>=<統合化作用>ということになります。

ナイチンゲールは『真理の探究』で、神のはたらきをこのように述べています。
Right <本来性・愛・真・善・美>、混乱を秩序に変える働き

混乱を秩序に変える働きとは、<統合化作用>!

すると、ナイチンゲールが語る法則とは単なる、科学的の法則ではないと予想される。
<統合の法則>と言い表すことができるのではなかろうか?!

しかし、なんとまぁー、
ナイチンゲールの神と、八木誠一の<神のはたらき>は似ていることか!

 母子像

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