愛、アムール

消防士が慌ただしくアパルトマン扉を開けるところから、映画は始まる。
すると、ベットには花で飾られた遺体が横たわっている。
その姿は、老女であるがジョン・エヴァレット・ミレイのオフェリアのよう。

タイトルが映し出され、
映画はコンサートの客席の場面になり、シューベルトの即興曲が流れる。

パリの風格あるアパルトマンに暮らす老夫婦、ジョルジュとアンヌは、
ともに音楽家の老夫婦。ある日、二人はアンヌの愛弟子のピアニストの演奏会で、
大変満足して帰る。
その翌日、いつものように朝 食を摂っている最中、アンヌに小さな異変が起こる。
それは頸動脈疾患による発作であり、手術をするがア ンヌは右半身麻痺となり、車いすの不自由な暮らしを余儀なくされる。
二度と病院に入れないでほしいというアンヌの切なる願いを聞き入れ、ジョルジュは妻を在宅介護する。アンヌはこれまで通りの暮らし方を貫き、ジョルジュもそれを支えていく。
離れて暮らす一人娘のエヴァも、管理人夫妻もそんな彼らの在り方を尊重し、敬意をもって見守っていた。不器用ながらも献身的に世話をするジョルジュからは、アンヌに対する静かで深い愛情が伝わってくる。しかし、アンヌの病状は悪化の一途をたどる。そんな中、雇ったヘルパーには心ない仕打ちを受け、娘とは距離が出来てしまい、やがで二人は孤立状態になる。年老いたジョルジュの介護生活は、精神的にも肉体的にも限界が感じられ、アンヌにも終末が近づいている・・・そんなある日・・・
映画のスタートの状況になるのです。

最後は曖昧な表現であるが、ジョルジュが選んだアンヌとの愛の形であると思う。

 

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多くのことを考えさせられる映画でした。

・介護の問題として、制度や介護環境のこと。
   日本の介護保険制度は多くの問題を抱えていると言われていますが、
   この映画を見る限りでは、それでも制度はありがたいと思います。
   フランスの高齢者介護の現状は、介護保険制度導入以前の日本と似ているそうです。

・歯科衛生士の性ですね。
   口腔ケアをしたくなります。
   摂食嚥下訓練・食事介助もしたいし、増粘剤を変えた嚥下食を作りたい・・・

・人間(自分自身)が老いて、人生を終えると言うこと。
   私が、生まれ、生きて、そして死んでいく全体を考えつつ生きようとするとき、
   子育ての経験が自分の人生の始まりを教えてくれ、
   介護が、自分の人生の終わりに気づかせてくれるのではないかと思います。
   子育ては動物もするが、介護をするのは人間だけですね。

 ・人間の<いのちの営み>とは。
   夫婦の生活を手伝う管理人が夫に告げた
   「私も妻も、あなたを尊敬します」という言葉が印象的だった。
   全編にわたって水道の音、食器の音、椅子の音、足音、などの日常生活音が響く。
   それは人間が生きると言うことの象徴であり、
   その淡々とした生活にこそ生きることの尊さがあるのだと思わせる。

・そしてタイトルにある、本当に愛するということが、どういうことなのか・・・

 

岡山のシネマクレール丸の内にて
4月7日まで上映されています。

高松ホール・ソレイユでは、5月11日より公開。

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『愛、アムール』 への44件のコメント

  1. 田原

    そうですね、介護をするのは人間だけなのですね。
    それにしても、人は死に方を選ぶことはできない。それが死について語ることに躊躇させてしまいます。自分はこうありたいと願うことはできるけれど、実際にどうなるかわからないし、たぶん想定外のことが起きてしまうだろうと思わざるを得ない。
    ですから人のことは言えるけれど、自分についてはほとんど語れないと思ってしまうのですね。それは、決していいことではない筈なのに~。
    もうひとつ、映画には「におい」は写らないのですね。それが美しくはしてくれるけれど、現実とはちょっとだけ違うものになってしまいますね。

  2. rie

    人間は思うようにならない。その最たる生老病死の苦から免れる方法を、仏教は教える道だと言えるかもしれませんね。
    私たちが死の経験を語れるのは、2人称と3人称の死だけです。ここから、1人称の「メメント・モリ!」ということになるのでしょうか??
    死を抱えて生きるのが人間という存在です。人間は大変ですね。

    「におい」については、なるほどです。

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