おむすび通信(1)

「おむすび通信」は、幕内秀夫先生が代表を務める学校給食と子どもの健康を考える会の情報誌です。1999年4月に創刊されています。

その「おむすび通信」に、今年3回原稿を書きましたので紹介します。

おむすび通信

『おむすび通信 』Vol.66 2011年6月

学校給食問題を考える 

第1回 母親として

 「おかーさんのうそつき。今日、給食がなかったよぉー。お腹がすいたー。早くご飯作って。早く、早く!」

これは、我が家の子供が幼稚園に入園し、初めての給食があった日の言葉です。あれから25年になろうとしていますが、今でもはっきりと覚えています。

子どもの「給食がない」と言うのはどういう意味だったのでしょうか。給食が始まる日の朝、私は「今日のお昼ご飯は、幼稚園でみんなと一緒に食べるのよ。給食っていうのよ。美味しいといいね。」と子どもに話していました。食いしん坊の子どもでしたから、その時間を楽しみに待っていたのでしょう。

ところが、出された給食は、牛乳と菓子パン。

我が家の子どもにとって、それは食事ではなく、ただのお菓子だと思えたのです。さらに、我が家の子どもは菓子パンが嫌いでしたから、パンは残して持って帰ってきました。チョコチップの入った、デニッシュロールでした。

『変な給食』はセンセーショナルな本でしたが、牛乳と菓子パンは<変な>以前。『給食じゃない!』というタイトルにしたいと思いますね。

さて、幼稚園の給食に愕然とした私は、同じ社宅に住んでいるお母さんに声をかけました。「あの給食、幼稚園に何とかしてもらうように言いに行かない」と。

しかし近所のお母さんは「ムダムダ、これまでも文句を言いに行った人がいたけど、いろいろな理由をつけて、挙句の果てには給食をやめてもいいんですよと言われたそうよ。」と教えてくれた。「結構じゃないの、お弁当にしたら」と私は思ったのですが、「毎日弁当を作りなさいと言われると、それは困るというお母さんたちが多いのよ」と言うことでした。やれやれ~

子どもたちの健康のためには仕方がないでは済まされません。私は幼稚園の園長先生に話しに行きました。しかし「うちは私立の幼稚園ではないので、市の教育委員会に言ってもらわなければどうしようもありません」と言う答えが返ってきました。そうですかと、言うことで、丸亀市の教育委員会へ行きました。私の訴えに対して市の担当の方は「予算がない、子どもは喜んでいる、おにぎりは衛生的ではない・・・」と、何を言っても通じない。私が最後に「同じ市立なのに、保育園はごはんと味噌汁を給食で出していますよね」と言うと「保育園は厚生省の管轄で生活を中心に考えておりまして、幼稚園は文部省管轄で教育ですから」と答えたのです。

私は、「もし、厚労省のお役人の食堂のメニューがごはんと味噌汁で、文部省の食堂には牛乳と菓子パンしかなかったらどうよ。文部省の役人は暴れるよ!」「菓子パンを食事という教育ってなによ!」という言葉を飲み込みながら、変えようという気は全くないのだと確信しました。その確信は、間違いなかったのです。25年たった現在も、その給食は続いています。

我が家の子どもたちはその後、田舎の小学校に入学しました。学童数は少なく、田んぼに囲まれた小学校だったため、完全ではありませんが週3~4回の米飯給食が実施されていました。

 ところで、「学校給食と子どもの健康を考える会」が発足したのは、1998年(平成10年)でした。香川県も何とかしなければと奮起し、歯科医師の松見先生と平成11年4月にしシンポジュウムを開催しました。その際、松見先生と手分けして座談会を各地域で行いましたが、そこに集まってきて下さる方はほとんど、この運動に賛同してくれました。  この思いを伝えるべく、松見先生と共に県の教育委員会と学校給食会へ出かけて行きました。香川県の教育委員長は「子どもたちに様々な国の食事を食べさせることで、国際人が育つのです」と言いきったのです。残念なことに、『変な給食』は「変な教育理念」が作るのだと確信しました。

当時の給食のイメージ写真

当時の給食のイメージ写真

 

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