『真理の探究』『Suggestion for Thought by Florence Nightingale』(2)

It is thought desirable for all to learn what is necessary to gain a livelihood.
生計を立てるために必要なことを学ぶことは、
すべての人のために望ましいと考えられている。

Arithmetic and other matters of instruction are taught for this purpose.
計算や他の教育の内容は、この目的のために教えられる。

But education is not pursued altogether with a right spirit and pursued.
しかし、教育がすべて正しい精神と目的を持って、行われるのではない。

Man’s  education should be give for the purpose of re-generation ;
人間の教育は、再生(単なる自我に死んで自己・自我として)という目的のために与えられるべき
である

注)本田:再生(単なる自我に死んで自己・自我として)という意味が分かりません。
  八木先生:自分の<いのちの営み>は、単に自分の<いのちの営み>だと
      考えるのは、人間の<単なる自我としての私>です。
      その私は、私を超え成り立たせるはたらき、
      これを私は、<いのちの働き>といっていますが、そこに気づいて
      私は私という<単なる自我としての私>が、
      私の<いのちの営み>は<いのちの働き/神のはたらき>の実現したものだ
      という自覚から、生き直すことです。
 本田:そうなると、仕事の色合いも変わりますね。
      私の思うようにならない学生も違って感じるかも・・・・
      悪い学生とは、私の自我にとって都合の悪い学生だった・・・
      足りないのは、私の<いのちの感覚>!

     いじめの問題などは、現代社会の<いのちの感覚>の欠如かもしれませんね。
     日本の学校は、人間の教育は、再生という目的のために与えられるべきという
     感覚は、ないでしょうね。
     ナイチンゲールは、当時すでに気づいていたのかもしれませんね。
     せめて、痛ましい事件が再生(単なる自我に死んで自己・自我として)
     きっかけとなって欲しいと思いますね。自分にも言い聞かせているのでが・・・

 of putting him in possession of the capability of exercising his powers,   
so that powers may revel to him what , among the labors of mankind after truth ,
is really truth ;
すなわち、人間の力を修練する能力を人間につけさせるためになされるべき、
そうすれば、力(おのずからの力)によって、真理を求める人類の努力の中で、
本当の真理が  <明らかになるかもしれない>>

注)本田:力(おのずからの力)とは、
     再生された人間に働く<いのちの感覚>だと理解しています。

 may enable him to judge of the nature of God , the nature and destination of man ,and how practically to pursue the destination.
すなわち、神の本性と、人間の本性と目的と、どのように実際に目標(行き先)を実践するのかとを、判断することが可能になるかもしれない。

注)八木先生: nature of God は、親鸞の自然法爾(じねんほうに)と、
  捉えることができます。

Goo辞典:仏教語。もののありのままの姿が真理にのっとっていること。
     「自然」はおのずからそうであること。
     「法爾」はそれ自身の法則にのっとって、そのようになっていること。
     「法爾自然ほうにじねん」ともいう。

ヴォリス2

ヴォーリズの建築 教会

 

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