あきらめて生きる

私の知人がALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されました。
驚きと不安は、慰めようもありません。

また、先週から新しく口腔ケアをすることになった方も、ALSです。

疾患の状態、口腔ケアの方法は本を読めばある程度わかります。
しかし、頑張れとも言えないし、慰めるすべが私にはありません。
そこが仕事で最もつらいところです。

長年口腔ケアで在宅訪問しているKさんも、ALSの患者さんです。
<2011年4月27日のブログは、Kさんについて書きました。>

わずかに動く口腔機能を使ってパソコンを操作し、コミュニケーションをとっています。
Kさんはユーモアもあり、随筆も笑わせてくれます。
また、臨床実習で訪れる学生さんともいい関係を築いています。
しかし、kさんも最初からこのような心境になったのではないでしょう。
思い切ってそのことについてKさんに質問してみました。
透明文字盤を使って、答えてくれました。

 一番辛く苦しかったのは、診断を告げられた時。
 これからどうなるのか、目の前が真っ暗になった。
 昨日は足が動かない、そして今日は手も動かなくなった、
 次は・・・・とだんだんと症状が悪化していくのもきつい。
 しかし、全く動かなくなり、かえって楽になった。

私の予想しなかった答えが返ってきました。
「どうして、そうなれたん?」

 あきらめがついたから

そうなんですかー。

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Kさんの話を聞いた後、野口体操の、野口三千三のお弟子さんである
羽鳥操さんの文章に出会いました。

 病気をもっているから不健康ということではありません。「未病」という言葉もあります。健康な人とは、病気を持っていても大きな破綻をおこさせない「からだの知恵」を、身につけた人だと言えます。現代に氾濫する心の病も同じではないでしょうか。
 ところで、病院で出会う元気になっていく患者には共通点があります。それは病を認めることがででき、病を受け入れ、そこからできることを自らも行う力を持っているということ。一時は、混乱もし、なぜ自分だけがこんな病気になるのかと恨む気持ちに取りつかれもします。しかし、そこから病とともに生きる覚悟ができた人は、立ちあがっていけるように見受けられます。健康な心を取り戻した証でしょう。病気に負けないからだを作るのではありません。病気になっても諦めずに鎮まってもらう状況を自ら作り出せる力を持つことが健康な証拠だと私は思います。

 この意味において、kさんは私よりずっと健康です!!

Kさんの<あきらめ>は、<諦め>。まさに諦念・諦観の境地と言ってもいいのでしょうね。

介護予防教室が目指す健康は、狭い意味での身体レベルです。
しかし、誰もが介護を受ける時が来るのであれば、
要介護を生き抜く健康教室も欲しいものです。

いつも思うのですが、口腔ケアで出会う患者さんにはかないません。
ただただ、ついていくことしかできません。

 

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