珈琲ブレイク(3)

弟子:今年度、看護学校の「死生学」の授業は終わったのですね。

師匠:今年の「死生学」の初日にね、散歩の途中に見つけた、
   蝉の抜け殻と死骸を持って行ったんだよ。

弟子:蝉の抜け殻と死骸ですか・・

師匠:100円ショップで透明のケースを買ってきて、
   そこにきれいにティッシュを敷いて、
   蝉を載せて持っていったんだよ。

弟子:へー

師匠:それを全員に回して、見てもらったんだよ。

弟子:面白いですね。

師匠:それで、試験に面白い答案があったよ。

弟子:そうですか。

師匠:書いたのは男子学生。
   題は「死を見つめて」

   死生学の授業を受けて、とても印象に残り考えたことは、第一日目の授業の「蝉」につ   いてです。蝉の抜け殻と蝉の屍骸をみて、「怖いな」「苦手だな」と思う所もありまし   たが、「精一杯この蝉は生きたんだな」と感じ、とてもきれいにも見えました。
    (中略)
   最後に、木の枝につかまっている蝉の抜け殻(註教室にこの状態で持参した)のよに、   人と人とは支え合い、関わり合い生きているので、患者様が無事に次に進めるよう、
   患者様や周りの人の木の枝となり、支えていける看護師なりたいです。

弟子:感性のいい学生さんですね。 
  
師匠:「枝にしがみつく蝉の抜け殻と屍骸、それにたいする学生の反応」は、
   実に示唆に富む話だね。

弟子:これまで、とるに足りない存在であった<蝉の抜け殻と死骸>に、
   死生学の言葉が与えられることによって、
   講義を受けた学生さんの<いのち>が輝きだしたのですね。
   教室に入る前と後では、明らかに違う自分を感じたことでしょう。

   看護師になって忙しくて死生学の授業のことを忘れても、
   きっと、彼は、夏の蝉に声を聞くたびに、
   蝉の抜け殻と死骸に出会うたびに、美しい<いのち>に出会い直し、
   そして、「自分は木の枝か?」と、問いなおすことになるのではないでしょうか?

師匠:そう言うことだね。

弟子:「とてもきれいにも見えました。」という表現もすごいですね。   
   青木新門さんの「納棺夫日記」の一節を思い出してしまいました。

師匠:死生学の「凄さ」を感じさせるよね。

フィンランド

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