文芸春秋 ㋄号

文芸春秋の5月号の特集「最新医療に乗り遅れるな」に
ジャーナリスト塩田芳享の口腔リハビリで生命 力が蘇る が  
掲載されていました。

DSC08909DSC08908

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私たちにはおなじみの、長崎市の角町正勝先生の患者さんも登場していた。
また、北海道の患者さんは、歯科医師を命の恩人と語っていた。

2002年に出版された、松風クラブ COLOR ATLAS  No.31
『あきらめないで! 口から食べること』 
食べる機能の再建をめざす 口腔リハビリテーションの実際
 角町 正勝 著 

DSC08910

 

 

 

 

 

 

 

 

 

角町先生の講演は何度か拝聴したことがありますし、
老健の研修会でご一緒したことがあります。

印象的な言葉、って言うか、大好きなことは
<ノミニュケーション>

日々思うこと 文芸春秋 ㋄号 はコメントを受け付けていません

ぐらん💛ま 倉敷自然育児相談所

町村純子先生の<BHS身体調和支援>の勉強をしているお仲間が
ぐらん💛ま 倉敷自然育児相談所を、開院されました。

所長 村口裕美 看護師、助産師、保健師
        母子ケア研究会会員、
        BHS身体調和支援体操アドバイザーUSマスタートレーナー

〒710-0843  岡山県倉敷市浦田2511-1
TEL:086-421-0681

 

DSC08907

 

 

 

 

 

 

 

 

 

来院していた、最初の赤ちゃんに出会うことができました。
声が嗄れるほど大泣きして、不安になったお母さんが連れてきた赤ちゃん。

DSC08902

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かわいいいとしか見えない赤ちゃんです。
村口さんが、よーく診て、何か気にならない?

抱っこした時に、ちょっと左に向くのが得手かなと思いましたが、
何分、こんな生後40日の赤ちゃんと対面するのは32年ぶり。

口の開き方に、<左右差がある>と言われました。
なるほど。

そういえば、鼻腔も左右差。左が大きく開いているいます。

左はしっかり開いているが、右はもっと開くはず。
右肩と背中に緊張があるわねーと言いながらマッサージしたり
うつぶせにして寝かしたりすると、緊張が取れてきます。

身体の左右差は、頭頂葉にある、求心性の体性感覚野と、遠心性の運動野とに、
電気信号として伝えられます。<左右差は3歳くらいまではないらしい>

DSC08903

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、赤ちゃんは、すやすや眠ってしまいました。

DSC08905

村口さんは、赤ちゃんの脇の下に
バスタオルをロール状にしたものを
入れて、もっとうつぶせにして、
あげたほうがいいかなーと、
優しくお話をしておりました。

生後2か月までが、大変重要だそうです。

赤ちゃんのお口がちゃんと開かないと、
おっぱいもきちんと飲めない。
お母さんの乳腺炎の原因にもなる
とのこと。

ほっとしたお母さんは、
笑顔で帰りました。

 

 

お母さんが帰った後、あの子、舌苔がついていたでしょう。

トホホ、見ていなかった。
高齢者の口腔ケアならわかるが、赤ちゃんの舌苔なんて気にしたことがない。
それが何か!!??

村口さん曰く、お母さんが甘いものをたくさん食べているのかもしれないわねー。

何と、おっぱいが濃すぎるサインでもあるそうです。
赤ちゃんが美味しいと感じるおっぱいではない可能性があるそうだ。

歯科衛生士さんは口腔のプロと言われて、穴があれば入りたい感じでした。

日々思うこと ぐらん💛ま 倉敷自然育児相談所 はコメントを受け付けていません

赤ちゃん人形

赤ちゃんの口腔ケアとして、
お母さんに<べー>っと舌を出して遊んでくださいとお話ししています。

ちょっと時間をおいて、赤ちゃんも<べー>っと真似をしてくれます。

2か月頃からしてくれる子もいます。
根気よく、そして、赤ちゃんの準備を待ってあげてください。

 

DSC08626

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのためには、おっぱいの指導と同様、抱き方も大切です。
それを体験していただける、赤ちゃん人形を探していました。

ネットでいいものを見つけたのですが、実際に抱いた感触が解りません。
えいっと思い切って、取り扱っている神戸のお店に行ってきました。

DSC08887

 

 

 

 

 

 

 

 

 

口の大きさにはビックリです。
でも、新生児もこのような口で、お母さんのおっぱいを飲んでいるんですね。
どこか緊張があると、こうは口が開かない。

感触も、この表情も、さすが、ドイツ製って感じです。

 

 

日々思うこと 赤ちゃん人形 はコメントを受け付けていません

桜の美合歯科診療所

先日、母親の歯科受診に付き添ってきました。

思わぬ花見に感激でした。
山間地の川のせせらぎに面した、桜の花の向こうに見える白い建物が診療所です。

DSC08882

受付からの桜も見事。
やさしい気持ちになれますね。

DSC08881

診療室のユニットの前は窓があり、ここからも桜が見えます。

こんな贅沢な歯科医院って、いいですね。
患者さんの気持ちも穏やかになるんではないでしょうか。

歯科医院の環境って大事です。
お花を生けたり、絵を飾ったり、グリーンを並べたりと
何処の歯科医院も気配りしています。

しかし、この景色に勝るものはないような気がします。

先生も、歯科衛生士さんもこの景色のように、
ゆったり、優しく接して下さり、怖がりの母も癒されたようです。

本当に贅沢な歯科治療でした。

しかしこの診療室は、1年で閉鎖になるとか・・・・
もったいない限りです。

DSC08879

日々思うこと 桜の美合歯科診療所 はコメントを受け付けていません

なだいなだ

人は若い時に読んだ本に影響されると思います。
年を取ると、最近読んだ本よりも、
昔読んだ本の方が印象に深く残っていることに気づきます。

本を選ぶときに、自分が好きな人の本を読む。
好きだとは、ここち良いということでもあり、同じ作家の本を
次々に買って読むことになるんですね。

その作家に付き合って読み続けると、その人の変わらないところ
変わっていくところが透けて見え、納得したり、また反対に
どうしてそんなことになるんだと、信じられなくなることもあります。

私が若いころ読んでいた作家に、なだ いなだ さんがいます。 

なだいなだはペンネーム
スペイン語で「無の無」つまり「何もなくて、何もない」なださんらしいなぁ~

精神科医でもあり、鋭い社会風刺とユニークな発想に満ちた作品は、エスプリが効いてて
私を魅了し続けました。
しかし、ここ10年くらい、なださんの本を手にすることがありませんでした。
というか、忘れていました。

そんなとき、最後の本が出たということを知り、早速購入。

『常識哲学 最後のメッセージ』 筑摩書房

「他人が聞いて分かるように話すことができなければ、ものごとを十分に理解しているとはいえない(オスカーワイルド)」を引用し、
なださんが哲学し続けた「常識」について、わかりやすい日常語で説明してくれています。
わかりやすいというのは浅いものではありません。

私の大好きな、井上ひさしさん言葉に通じるとことがあります。
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」

つまり、深いことを私にも理解できる言葉を紡いで文章にしてくれていると感じるものです。

 

「日本の常識世界の非常識」と言われる「常識」「コモンセンス」は、私のナイチンゲール論の核心でもあります。再度、「常識」「コモンセンス」という言葉の定義を自分なりに再考しなければと背中を押される一冊でした。

DSC08878

 

本棚をみて、目に留まったなださんの本をまとめてみました。
『心の底をのぞいたら』など、いくつかの本が行方不明。
子どもが持ち出したのかも…

今の社会の、権威、権力、組織等が、自分の身体感覚にフィットせず
生きにくさを感じている方は、これらの本は《効く》かもしれません。
少なくとも、私には効きました

『権威と権力  いうことを利かせる原理・きく原理』岩波新書などは、
政治家、医者、父親、先生、宗教者が大嫌いだった私の薬でした。

副作用は、へそ曲がりになること。
それでも、曲がってしまえば、こっちのもんだい!!

日々思うこと なだいなだ はコメントを受け付けていません

赤ちゃんからの歯科保健

三木町で、乳児健康相談に関わっていることもあって、赤ちゃんから
いえ、胎児期からの歯科保健の重要さを感じる日々です。
テレビを見ていると、そこに映し出される子どもの、口腔や滑舌に違和感と共に、
これからの歯科衛生士の仕事の新たな方向性も見えてきます。

以前から一度お話を伺いたかった、先生の講演が京都であるとしり、
勉強会のお仲間を誘って参加してきました。

前日は、倉敷の助産師さん宅で前夜祭。
いえいえ、前夜勉強会。
鹿児島から参加する歯科衛生士さん。
広島から参加する、若い保健師さん。
職種が違っても、同じ思いがある皆さんとは話が尽きません。

朝6:00に起きると、なんと、朝ごはんがテーブルにセットされていました。
脱帽。ありがとうございまーす!!

DSC08801

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、3月18日、京都の講演会。

<子どもの咬合を考える会> 第20回記念特別講演会 
http://www.kodomo3d.org/

DSC08802

 

 

 

 

 

 

 

 

 

講演⒈
<お腹の中から歩き出すまで ━歯科に及ぼす粗大運動発達期の影響━>

小児歯科医(茨城県つくば市)
赤ちゃん歯科ネットワーク代表 石田房枝先生

 

講演2.
<乳幼児期の食べ方が生涯の噛み合わせと口腔機能を作る>

マスダ小児矯正歯科医院 増田純一先生

 

 

日々思うこと 赤ちゃんからの歯科保健 はコメントを受け付けていません

『医療幻想』からの想起

一般の患者としては、病院信仰がぬぐいきれないところがありますが、
流石にこれだけテレビから、健康番組や健康食品のコマーシャルがが垂れ流されると
それは本当か?誰が得をしているんだと、裏側を覗いてみたくなります。

これまで医師が書いた本では、近藤誠、米山公啓、永井明らが、
医療や健康に対する幻想を抱く私たちに、一石を投じたものを読みました。

先日、放射線技師をしている妹に紹介されて
久坂部 羊著『医療幻想 「思い込み」が患者を殺す』ちくま新書を読みました。

DSC08854

日本医療の実態とは、どのようなものなのか?

・抗がん剤でガンは治らない。
 医師のいう効果があるは、数ヵ月程度の延命をもたらすにすぎない。
 抗癌剤の認可基準は次の通り。
 「投与後大きさが半分になり、一ヶ月後に転移がない患者が2割いればよい」
 この程度のもの。
・点滴は水分、ブドウ糖、塩分で、腎臓の混合液でありがたがるものではない。
 直接血中に入るので代謝で肝臓に負担をかけるので繁用はふさわしくない。
・骨粗鬆症の治療薬も効果的に考えるとほとんど無意味だ。
 しかし収益性が高く、著者もかつて頻繁に投与していた。
・高血圧基準が厳しくなるのはガイドライン委員と製薬会社の癒着が噂される。
 実際に04年には委員の医師9名に8億円が渡されていた。
・ガン検診の効果は日本以外では否定されている。
 実際に医師にアンケートをとっても多くは受けていなかった。

こうした驚くべき実態に迫り、医者と患者の間にある壁の正体を明るみにする。
医師会・厚労省・マスメディアなどの生み出す幻想の実態を晒すことで、日本医療のあり方に問題提起しています。
私は全く著者のことを知らなかったのですが、様々な現場で働いているお医者さんであり、作家でもあるそうで、非常に読みやすい文章で一気に読めました。

DSC08855

しかし、最終的にはそれぞれの人間が、病や死をどう引き受けるか、どう生きるかが問われるのであろうと思います。出来れば元気な時から、関心を持っておくことをお勧めします。

2000年に発行された『健康不安の社会学』世界思想社は、健康ブームに対して、健康不安を煽ってくる社会に対する問題提起をした本です。

健康を指導する人間として、「健康」をどう捉えるかという問題を避けて通ることはできません。同時に自分の健康をどう考えるかを、横に置いておくことは不誠実だと思い、ちょっと立ち止まって考えていた頃でした。
平成12年の香川大学生涯学習センターで、著者である上杉正幸先生の講座を受講しました。

<健康な社会の問題点を考える -あなたはそれでも健康になりますかー>

この講座は、健康はよいことだという一般的なベクトルに、疑問を投げかけるもので、
人間の生き方を問うものでもありました。

最後、私たちには死があります。
死を選ぶことはできませんが、どう生きるかのの延長としての死は、選択できるところがあると思います。

特養での看取りの利用者さん姿を見ていると、教えられることがいっぱいです。

WDr.中村は、健康不安を吹き飛ばす、一つの道を示してくれているように感じます。

中村伸一著 『自宅で大往生 ~「ええ人生やった」と言うために~』中公新書

中村仁一著 『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ』幻冬舎新書

 

健康幻想、そして死を排除した社会で生きる私たちは、
何処へ行きつこうとしているのでしょうか。

カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』早川書房

臓器提供をするためだけに製造された、クローン人間の物語です。
そのクローン人間たちにも、普通の人間と同じ感情があります。
あまり文学作品を読まない私ですが、心の奥深く突き刺さってくるものがあり、
人間とはいかなる存在だろうかと、考えさせられました。

 

日々思うこと 『医療幻想』からの想起 はコメントを受け付けていません

いのちの感覚=統合感覚

2016年3月21日
身体「作用の場所的」だと書きました。
これは、<いのちの営み>は「作用の場所的」とも言えます。

もう少し綿密に、「作用の場所=身体=いのちの営み」が成り立つとは、
そのような<場所>を成り立たせる<働き>が実現したものが<場所>だと言い表せます。

<働き>そのものを「場」と呼べば、「場所」とは、
「場」の実現した「場所」です。
これを<「場」所>と表記します。

私たちの<いのちの営み=身体>で言えば、<いのちの営み=身体>とは、
<いのちの営み=身体>を成り立たせる<働き>である<いのちの働き>
実現した
いのちの働きいのちの営み=身体と表現できる捉え方です。

このような人間存在ののあり方の哲学を、<「場」所>論と呼びます。

 

なんと、小難しく、理屈っぽくと思われるかもしれませんが、
そもそも清らかで優しい人間の在り方とは<「場」所>論的なのだと、
八木誠一先生は語っています。このような人間の働きが「愛」であり、
「統合化作用」であり「コミュニケーション作用」です。

人間が感じる<愛の感覚>とは、<統合感覚><コミュニケーション感覚>です。
つまり<いのちの働きのいのちのつまり営み=身体>の感覚であり、
<いのちの感覚>ということです。くどいようですが、<「場」所>論的感覚です。

ナイチンゲールが<コモンセンス>と述べた、看護の感覚でもあります。

 

私は、この感覚を磨くことが、いのちあるものに関わる仕事をする人間に
最も求められる事ではないかと思っています。

 

DSC08834

『ゲシュタルトクライス 知覚と運動の人間学』

 ヴァイツゼッカー著 みすず書房 5600円

生命あるものを研究するには、生命と関わりあわねばならぬ。

と、この本は始まります。歯科衛生士も、単に歯垢や歯石を相手に仕事をするのではなく
いのちある患者さんとの仕事ですから、いのちと関わらなければなりません。

学問においては自分自身の生命を無視しようとする努力も可能かもしれぬ。
しかしそのような努力の中には自己欺瞞が隠されている。

私たちが仕事をする場合、
自分自身のいのちをどのように捉え、どのように生きるかを問うことがないのであれば、
患者さんのいのちを大切になどと言っても、そこでは自分で自分をごまかしていると
言うことです。
そう言われれば、そうです。
私たちが歯科衛生士になる勉強をした時のことを思い出してみてください。
「倫理」を学びましたが、自分自身の<いのち>について問われたことはなかった。
いえ、問われていたのかもしれませんが、気づかなかった。私は問いませんでした。
では、ヴァイツゼッカーの<生命>とは、どういうことでしょうか?

生命は生命あるものとしてわれわれの目の前にある。

どうも、<生命>というものがあるというのではなく、
命が宿ったものとして、ここに生きているとということのようです。

生命はどこかから出てくるものではなくて元来そこにあるものであり、
新たに開始されるものではなくてもともと始まっているものである。

生命それ自体は決して死なない。死ぬのはただ、個々の生きものだけである。

私たちが考える生命とは、誕生とともに始まり、死とともに消えていく
そんなものではないだろうか?
ここで言わんとする<生命>は、其れとは次元が違うようだ。
決して死なない、つまりなくなったりしないものを指している。
もともと、ここにあり、個々の生きもの生死を超えた<生命>、
言い換えれば、ヴァイツゼッカーの<生命>の働きによって、
個々の生き物が誕生し死んでいく。
ヴァイツゼッカーの語る<生命>は、
そもそも、始まることも終わることなく常に<いのちの働き>として世界にあり、
<身体を生み出し、生かし、死なせる>根拠として
捉えることができるのではないだろうか。

 

個体の死は、生命を区分し、更新する。
死ぬということは転化を可能にするという意味をもっている。
死は生の反対ではなくて、生殖および出生に対立するものである。
出生と死とはあたかも生命の表裏両面といった関係にあるのであって、
理論的に互に排除しあう反対命題ではない。
生命とは出生と死である Leben ist : Geburt unt Tod。
このような生命がわれわれの真のテーマとなる。

<「場」所論>的に言い換えると、ヴァイツゼッカーの語る<生命>は、
<場>であり、<場所>を成り立たせる根拠であり、
つまり、個々の<いのちの営み>を生み出し、維持し、死なせる働きが
<いのちの働き>ということ。ヴァイツゼッカーの語る<生命>です。

<いのちの働き>=ヴァイツゼッカーの<生命>=<場>

<いのちの営み>としての身体は、根拠としての<いのちの働き>によって
生かされていると
同時に、
<いのちの働き>は
<いのちの営み>の
内に働き、
<いのちの営み>としての身体の真の主体でもある。

私は、私を生み出したわけでもなく、なりたくもないのに
病んだり老いたりし、
ついには亡くなるように、
全くもって、意のままにならない。
それは、私のいのちの営み>が、私を超えた<いのちの働き>の
内にあるからだと言える所以でしょう。

ところで、私はクリスマスシーズンになりと『トムテ』という絵本を子どもたちによく読んだ。スウェーデンの農家や仕事場に住んでいる小人の物語りです。トムテは何百年も生き続け、その家の人が幸せになるように見守っているのです。
そのトムテが、人間を含めた命あるもの、そして命あるものが置かれた世界をみてこうつぶやくのです。「どこへ ながれて いくのだろう。みなもとは、どこだろう。」

このように感じる世界観は、<「場」所論>的であり、
このような身体が感じる感覚が、<「場」所>論的感覚>であり<統合感覚>・
<コミュニケーション感覚>・<愛の感覚>・<いのちの感覚>・<看護の感覚>
<コモンセンス>
でもあります。

 

ヴァイツゼッカーは、こう書いています。

生命に関するいかなる学問の始まりも、生命それ自体の始まりではない。
むしろ学問というものは、問うということの目覚めと共に、

生命のまっただなかで始まったものなのである。
したがって学問が生命から飛び出すありさまは、眠りからの目覚めに似ている。
だから、よく行われているように生命のない物質、つまりは死せるものを出発点とすること、
たとえば有機体の中に見出される化学的元素をいちいち数えあげたりすることを出発点にすることは間違っている。生命あるものは死せるものから発生するのではない。
生命なきもの、或は無機物を、死せるものと同一視することすら、
明確さを欠いたことである。なぜなら、そのような同一視は、
死せるものが生命あるものから生じるかのごとき感をいだかせるからである。

 

すべての学問の根底に据えられるべき、学問である気がします。
本来の宗教とは、このように人間存在の全体を
<いのちの働き>の<いのちの営み>を捉える
ことだった
のですが、
最近は変質している感じがします。
私自身もご利益宗教や、自我の働きを強化し本来の<いのちの働き>を無視した宗教に
心惹かれたことがあります。また、形式化した我が家の宗教的あり方に反発もしました。

9.11のような事件は、変質した宗教が、本来の宗教までも変質させてしまいかねませんね。

しかし、3.11のような経験が、私たちを本来の宗教に目覚めさせてくれます。
今は、<「場」所論>学問にとっては、目覚めのチャンスかもしれません。

 

 

日々思うこと いのちの感覚=統合感覚 はコメントを受け付けていません

身体は「場所的」

高松市歯科医師会主催「在宅訪問歯科衛生士養成講座」
受講生の歯科衛生士さんが、施設訪問見学実習として、
特別養護老人ホーム サマリヤでの私の仕事に同行されました。

<施設での口腔ケア>と一口に言っても、利用者さんによっても異なりますが、
施設によってこちらの対応も様々です。
一つの施設だけではなく、いくつかの見学ができると、
今後の活動の参考になるだろうと思います。

それは、人間の存在が「場所的」だということです。
例えば今私が住んでいる「ここ」という「場所」を表す、
住所について考えてみましょう。

日本・四国・香川県・仲多度郡・満濃町・七箇・何番地と書き表します。
つまり、<ここ>という場所は、いくつもの場所が層となり、
重なり合って成り立っているのです。

単に重なり合っているのではなく、相互作用的に重なっています。
場所としての私の住所は、七箇地区の作用に影響されますが、
私の家も、七箇地区へ作用している。
何処までも無限に重層的であると言えます。

一筋縄ではなりゆかない政治経済問題を考えても、納得できると思います。
国際問題から見れば大河の一滴であるような私の生活も、その影響を受けています。

DSC08515

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間の身体自身が、そもそも、「場所的」です。
身体としての<のいのちの営み>全体と、
一つの細胞・組織・器官の関係もそのようなあり方をしています。
身体としての<のいのちの営み>全体は、
相互作用(コミュニケーション)としての「場所」と言えますね。

「口腔」を捉えようとするならば、全身の状態を無視しては成り立たないように、
施設の在り方も、関係しているという事です。

そのような<いのちの営み>としての身体を捉える感覚を、<統合感覚>と呼びます。
その感覚を働かせて、ケアすることが重要です。
言い換えれば、<統合感覚>のことを<コミュニケーション感覚>と呼ぶこともできます。

このような<いのちの感覚>が連綿と続いているからこそ、生命が亡びることなく、
<今・ここ>に私が存在している。

この感覚についての興味深い記述を、
次回『ゲシュタルトクライシス』の冒頭から紹介します。

 

 

 

日々思うこと 身体は「場所的」 はコメントを受け付けていません

管楽器と口腔

一緒に乳児健康相談をしている、助産師さんと保健師さんの写真です。

DSC08739

DSC08741

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とても気になっていたのが口元。

同じように下唇がちょっと厚い。
厚いと言っても、力が弱いというのとも違うのです。
おしゃべりしているときは、舌の位置が下方にある感じで・・・・

アップの口元は、左端の女性。

仕事が終わっておしゃべりをしていて気づいたのが、
皆さん吹奏楽部出身であるということ。
楽器は様々ですが、楽器によって独特の力の使い方があるんですね。

そこで、舌位の話をして

皆で「あ・い・う・べー」体操を10回すると
ご一同様「うわー、こんな口、知らんかったー」

生活習慣って、すごいですね。

話題はMFT(口腔筋機能療法:ORAL MYOFUNCTIONAL THERAPY)に
広がりました。

管楽器の視点から口腔を観察すると、新たな発見があります。

日々思うこと 管楽器と口腔 はコメントを受け付けていません